
久々の近所の小川。最近行事ばかりで足元の釣り場を見れずに過ごしていた。
少しだけではあるが時間が出来たので早速、朝8時すぎの到着。
秋ももう終わった?という小川の雰囲気であり、透明度も何時もの何倍もある。

つい先日まで、あれだけいたオイカワからの反応は皆無。
小川は口を閉ざし何も教えてくれなかった。
本流に落ちたのか?
深場に沈んだのか?
居るけど食わないのか?
疑問をあげればキリが無いが反応は無く釣れない時間を過ごし、やがて雨が落ち始め冷えてきたので
帰宅した。
しかし、これしきの事で諦めないし、たかが小物のオイカワ如きと見下したりもしない。
オイカワ一匹釣れない自分がいる事実は受け止める必要があるということである。
どんな状況でも自由に釣りたいからこれからも続いて行くのだと信じている。
家の水槽のオイカワも活性が最近低く藻の隙間に実を隠し じっと している。
大昔の記憶では雪が降るような寒い日でも釣れた記憶があるのだが。
よく晴れた無風の日など滅多に無いからそんなチャンスを逃さずに夕方狙いで挑みたい。
初冬の黄昏の中でフライを振りに行きオイカワを釣りたいと思った。
テーマ:フライフィッシング - ジャンル:趣味・実用
- 2009/11/24(火) 16:13:40|
- オイカワ毛鉤釣
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最近、本流の鱒を目差して釣歩いた時の事を思い出す事が多くなった。
まだ残雪の残る時期から、新緑の季節。そして雨の日も、夏の夕暮れも、それは秋風の吹く禁漁期まで続き毎週通い続けたのである。あの頃の僕は我武者羅に若い情熱だけで釣をしていた、片道150キロの魚野川の年券を買いシーズンを追ったものだった。
当時愛用していたアングラーズハウス・ケプラーのウェーディングシューズはシーズン中にソールを2回も張替えて更に秋には擦り切れて踵に穴の開いた状態になり、毎年買い替えをしていた。
ただ釣る為にというよりも、本流の釣、ドリフト釣法をマスターしたいが為に通ったというのが正直なところである。そして、残されたスプーンの塗装には当時の傷がまだ残っている。
そして得たものは、スプーンやミノーの使い方と疑似餌の流し方なのであるが、未だにその釣り方としては変わった訳では無く。本流に通った頃にマスターした基本をそのまま忠実に実行して現在に至っている。目に見えない流れを感じ取り、その確信したポイントにルアーを送り込み、上昇させてスライドさせてヒットさせる釣りかたと言葉にすれば簡単なものであるが、実際は感覚を磨き何度も同じ事を繰り返し身体に叩き込む世界である。
悲しい事に自分の釣が進化する中で開拓したポイントの多くが、河川工事や台風の洪水、最後は地震の災害などで消えていった。
もう一度、あの頃の魚野川で釣をしてみたい自分がいる。
今の自分を試してみたいと思う自分がいる。
これからは後悔しない釣をする為に、自分の持つ釣技釣術に磨きをかけて 今現在の釣に向き合うべきなのだ。今、当たり前にあるフィールドは明日は無いかもしれないのである。
いったい今をどう釣るのか?という疑問を自分にぶつけてその方向に向かうのが大切であるという事だ。
テーマ:フィッシング - ジャンル:趣味・実用
- 2009/11/21(土) 01:55:21|
- 嗚呼、釣り人生
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最近、一雨毎に冷え込みもきつくなり冬がそこまで来ている。釣に行かずに道具の手入れをするのも良い時期でもあるが、僕の中ではオフシーズンというものは無い。先日出かけた呼子の海も時化が収まらず雨と寒さに耐える釣になった。
ブログの記事にはしていないがハイシーズンと変わらず釣行だけは重ねている。
木枯らしの吹く中での釣りもまた味があり好きな釣である。
釣れる釣れないで言えば釣れない確立が高いのであるが、あえてそこは釣果を求めずにフィールドに身を置く事で得られる何かを探している。
昨夜も深夜の筑後川に釣行してきたのであるがその寒さに、水の透明度に既に冬の釣であるという事を思い知らされた。早春のバチ抜けまでまだ少し時間がかかりそうであるが、定期的にフィールドに立ちその始まりをしっかりと抑えたいと思っている。
埼玉に住んでいた頃であれば管理釣り場や冬場でも釣になる本流やダム湖によく出かけたものだった。九州にも管理釣り場は幾つかあるのだが、フィールドの規模の大きな場所は少なく高番手のフライタックルでのロングキャストを楽しめる様な場所は近くに無いのと時間的に都合が付かないのとでなかなか釣り場に足が向かない。
ふとこの冬は何を釣ろうかと考えてみた。
疑似餌に拘らずに寒鮒の釣りもいいかもしれないし、タナゴ釣というのも手ではある。有明海のメバルなどの小物釣も楽しみであるが時間の都合と僕の気分によるところが大きくどうなるのかわからない。
僕は大物釣師では無いので小物釣も結構好きである。
どちらかと言えば繊細な釣が好みかもしれない。
筑後川の有明鱸とオイカワ釣は日常的な釣であるので継続であるが、その他にも何かを釣りたいと常に考えてはいる。
欲張りな性格故に、アレコレ手を出しては中途半端になるのは目に見えているのだが、この時期になると昔からアレコレやりたくなるのである。
しかし現実的には防寒対策をして近所でイダでも釣に行くことになるだろう。
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- 2009/11/17(火) 00:26:50|
- 釣の四方山話
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僕の住む筑後地方にも晩秋の冷たい雨が降った。
もうすぐ冬が来ることを知らせる雨である。秋は一雨ごとに冷え込み季節は冬へと変化して行く。
現代の日常生活だけでは、そんな季節を感じる動物として当たり前の感覚でさえ失われつつある。
これは自然と関わる人間だけが敏感に感じる感覚であると僕は思っている。
そんな季節の移ろいと共に僕の釣りも変化をしてきた。
早春のサクラマスから始まり、有明海沿岸のメバル、筑後川の有明鱸、夏のヤマメそして小川のオイカワ。
めぐりめぐって振り出しの冬に戻る。そろそろまたスモルト探しの旅にでる準備にかかる。
同時に有明鱸、晩秋〜初冬の可能性も検証して行くつもりである。
多くの愛しい魚達やフィールドに出逢えたシーズンではあったもののやはり終わりを迎える時期なると少々の寂しさを覚える事は言うまでも無く。
このところは日を追う毎に、釣りの服装も防寒着など枚数も増して行く様になった。
最近、ホームセンターで安く買ったネオプレーンの靴下を使っている、足元から冷える河の釣りには大変効果的で寒い夜も快適に釣が出来ている。
最近の衣類は、蓄熱素材や防寒素材や浸透素材など、10年前アウトドアメーカーで使われた高級素材も一般化して普通にホームセンターでも何処にでも売っている時代になった。
僕の子供の頃は、軍手を何枚も重ねて、腹に新聞紙を巻いて風通しの良い(笑)ナイロンのジャンバーを着込み寒さのあまり指先の感覚を失いはぁはぁ言いながら釣りをしたものだ。
釣れなくなると恒例の火遊び。焚き火をして、ねぎや銀杏を焼き食べたものだったった。
釣り場には僕以外の人も見かけなくなってきた。誰もいない晩秋の闇夜に河に佇むと不思議と社会との接点を失った感覚になる。
僕だけがこの闇の世界に存在して、釣りをしている。そんな感覚になる。それは寝不足の疲れた体で脳が死掛けているのか、意識が障害を起こしてるのか、精神が不安定なのかわからないが、意識が眠さで薄れつつ竿を振り続けている。
明け方の「もういい加減にしなさい!」とカミサンからのお叱りの電話が携帯に届くとたちまち現実に戻されるのではあるが・・・
釣りを取り巻く環境が良い時代になったのか、悪い時代になったのか?それは十年後でもわからないだろう。
多分、十年後も河原に立ち続け、河を見て釣竿を振り夢を見ているのだろう。
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- 2009/11/11(水) 10:15:52|
- フィールドリサーチ
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今夜は無理だろうと思う気持ちと今夜でもいけるかもしれないという期待が入り乱れる中で11月の寒さの中、何時もの筑後川へ向かった。

苦戦を強いられるのも想定の範疇であるが、此処で釣れたのなら更なる喜びと感動を手にする事ができるだろう。大潮下げ、干潮午前2時半。自宅を出たのは午前0時半残り時間は僅かであり、運転する車の速度を上げて現場に直行した。
午前1時現場に到着するが潮はかなり下がっていた。
この時点で試合には負けているとも云えるが、それは僕の固定概念であり打ち砕くべきものである。
釣れるか釣れないのかは釣るまでわからないのだ。
ところが釣師というのは次第に謙虚さを失い、都合の良い釣りやすい(結果の出やすい)時間だけフィールドに立とうなどという甘い考えや行動をとってしまうものである。
そんな自分嫌で一から特訓する意味も兼ねて、午後3時の潮止まりまでキャストをし続ける事にした。
午前3時半、潮が止まった。
ニーブーツの底から体温を奪われ、疲労感も増してきたが逆にこの寒さで眠気はあまりこなかった。
この間、先日のヒットルアーを二個もロストして少しがっかりもしたが所詮消耗品だからと諦めた。
「ヒットルアーなどまた探せばいいんだ」と楽観的に考えることにした。
それから数時間で上げ潮に変わり物凄い勢いで潮が上ってきた。
この日の有明海は「02時27分 42cm 08時43分 509cm 」の潮汐差であり、信じられないくらい海面が下がり信じられない勢いで海面が上がる。
この上げ潮に乗って海に出た有明鱸が戻ってくれば、とワンチャンス賭けてみたが何も起こすことはできなかった。
やがて夜が明けて。

明るくなり。

完全に寒さに負け釣りを終えた。
この広い流れのいったい何処に有明鱸はいるのだろうか・・・・

しかし、平日ということもあるが釣り人は僕一人である。
釣れない事も真実であり、事実として受け入れることも必要である。
腕の所為でも時期が悪いでもなく。
この大きな河のほとりでいかに釣り人が無力であることを思い知らされる事もいいだろう。
テーマ:フライフィッシング - ジャンル:趣味・実用
- 2009/11/03(火) 00:33:07|
- 本流・鱸疑似餌釣
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